>自由度の先にはお使いしかないのか
>なら一本道でいいやって最近思うようになってきた
俺はいいこと言ってると思うけどね。
しかも、100種類のお使いで構成されるゲームを買っちゃうと
食べ残すのはもったいないぜって全お使いやるのが普通で
そうすると「自由度ってただ順番選ぶだけじゃん?」てなる。
>>124
>そんな事ないだろ
>移動には原初的な喜びが
将棋で歩を前に進められるのは楽しいか?と言っているのと同じ
ただ前に進めて戻してそれを繰り返すだけで楽しいのなら
どうすると駒を取れてどうすると負けるどうすると勝てるか?
その上で動かすから初めて面白さが発生する
ゲームとはスタート位置からゴールを目指す遊び
プレイヤーのする事はどうすればゴールまで行けるのか?を考える事
それを見つける過程に面白さが在る
前に駒を進めろと命じられ、前に駒を進めると前に進む
次は金を進めろと命じられ、そのとおりにする
それをただ繰り返してるだけでは何の面白さも得られない
>>2. 移動して物を渡すだけの何の障害もないクエ
>「なぜお前が行かないのか」と、感情逆撫でされることが多い
正にこの寿司を欲している船乗り
それは違
何の感情逆撫でもさり得ない
何の強制もされない
単に[船乗りに寿司を渡すと岸を通れる]
という関係図が存在しているだけで何の強制もされない
そこを渡らなければいけない理由はプレイヤー側が持っている
プレイヤーがしたい事を達成するには寿司を渡したらできるよというだけ
何の命令もされてない
別に、お前が「お使いか否か」を「命令の有無」で判断しているのはこれまでの流れでわかってるよ
でも仮に船乗りと直接会話して「向こう岸に渡りたかったら寿司を持って来いよ」って言われたら、その時点でお使いになるんだろ?
お使いになるかどうかは動機も答えも出す側が持っている場合
出す側が「こういう理由だから、何々をしなければいけない」
そして「そのためには何々を達成しなければならない」
ここまでお題を出す側がすべて決める
プレイヤーは何も自分の意思がないから命令を受けているだけになる
これをプレイヤーは目的を持っている、目的達成のための答えをお題を出す側が持っている
に分割する
プレイヤーは岸の向こう側へ行きたい
その答えは船乗りが持っている
にすると、プレイヤーは自分の目的を得たいがために自ら進んでその困難を越えようとする
その目的っていうのはその根幹までたどるとゲーム目的になる
ゲーム目的を達成する事を素にプレイヤーは自分の欲求を持つ
何故岸を渡りたいか?
その岸を渡る事で得られるものがその目的
だから自分からプレイヤーは困難を超えたがる
その困難を超えれば欲しい物が手に入ると思うから
プレイヤーが何をすればいいのか自分で分からない場合
何もする事がないか
または命令を受けなければ何も出来ないという状態になる
要するに自分は向こうへ渡りたい
それを得るためには交換条件で対価を支払えばいい
という関係がお使いでない関係
別に自分にはそれをしなきゃいけない必然性必要性はない
向こう側へ渡る必要はないし進む必要はない
そこに寿司を持って来いよと命じられればお使いになる
プレイヤーが向こう岸に行きたいと思っているのも、そこに行けというお使いを頼まれたからだろ
そこに行けと頼まれた場合はお使い
自分がもともと行きたい場合がお使いでない
何故そこへ行きたいか?を作れないからお使いになる
それはゲーム目的の達成に関するものだったり
「行ってみたい気になる場所」
「まだ入った事のない未知の場所」へ行ってみたいだったり
「普通には入れないような密閉された場所への入り方」だったり
「意味深な外観から入ってみたい」という動機を持ったり
「纏る伝説や噂」だったり
プレイヤーを自らそこへ駆り立てるもの
自分がそこへ行きたいと思えば
後は、どうすればそこへ行けるか?
その手段を自分で見つけたがる
探究心等から手段を見つけ出そうとする
作り手はその手段を用意するだけ
それを繰り返しているだけなのに
実際それだけにすると何の面白みもないしただ命じられているだけでただの苦行にしかならない
だから、ストーリーや景色を飾って別のもので気持ちを引いてるだけ
本質的には何の面白みもない
ゲームを作れない人たちが別のものを詰め込んで偽ってるだけという
「りんごを買って来い」、りんごを持って来るにはどうするかは分かりきっている
だからその「りんごをとってもって来るという作業」をやらされる
それがお使い
作業的
要するに左へ曲がれと指示され
左へ曲がったら左へ曲がった
当たり前の事をやっただけ
塔の最下層へ入るにはどうすればいいのか?
それを見つけ出すのがゲームプレイ
下へ降りる階段の場所を見つけ出し
閉ざされている門扉の開け方、鍵を見つけ出し
邪魔をし立ちふさがる者を倒したりやり過ごし
ゲームマスターの求める条件をすべて満たし提示した場合にのみ
最下層へ進めゴールする事が出来る
それを参加者は据えて無事に揃えられゴールへ進む事は出来るのか?
という遊びがゲーム
だからお使いはそもそもゲームではない
「揃える事が出来なかった場合」が当然存在する
揃えられない事=ゲームでは負けを意味する
要するにプレイヤーのする事、する行いによって勝ち負けに振り分けられるのがゲーム
どうやって振り分けるか?と言うとそれはルールによってルールの代行者によって振り分けられる
何をすれば勝ちで、または勝ちに一歩近付き進めるのか?
何をすれば負けや、またはペナルティ、または失格になるのか?
それらが全て事細かに書載されている
プレイヤーの行える行動全てにルールによる最低がつきまとう
ルールに管理されていない行動はゲームの中では存在しない
逆に言えば、プレイヤーがどんな行動をとってもいいようにルールはプレイヤーの行動しうる全ての挙動を考慮しなければいけない
ルールによって予期出来ない行動をプレイヤーが出来てしまうならそれはルールの不備
そうやって完璧にルールによって支配された構造態がゲーム
その中でゴール達成を目指し、達成に到れるか?
それに挑戦するのがゲームの面白さ
勝ちと負けに裁定されるのゲームの面白され醍醐味
逆に言えば、ルールによって完璧に管理されていないものはゲームになっていない
プレイヤーの取りうる行動を全て把握し管理していないもの
それが今ゲームと名乗ってるものに多い
OWではどこへ行ってもいい
となっているがそれは、プレイヤーの行動を管理していないから起きる動作で
ルールにより管理されていれば、「どこへ行ってもいい」
にはならない
ルールによって管理されていれば「どこどこへ行った場合」「どんな結果になり」
「どこどこへ行った場合」「どんな結果になる」
「北へ行った場合」「どのような結果になり」
「南へ行った場合」「どうなる」
「何をした場合」「ゲームマスター、ゲームルールから許可され」
「何をした場合」「ゲームルールから失格にされるか」
それらが完璧にルールによって制御されていて初めて成り立つもの
OWも一本道のレールによるお使いも
どちらもプレイヤーの自由な行動とその行動に対するルールによる裁定を完璧に作ろうとしていない
だから不自由に感じる
プレイヤーを監視して管理する事を放棄するか?(OW)
プレイヤーはそもそも自由には行動出来ないレール上に指示した行動しか取らないから
プレイヤーの行動を監視及び管理をする必要がない
ルールが穴だらけでも構ないから成り立つ
それはゲームとは言えないもの
RPGはゲーム的な構造体の縮図なので都合いい
シミュレーションゲームはそもそもゲームとしての構造がなかったり薄い
ルールからによるゲーム構造に依存するためそこが成り立たないと
ゲームっていうのは
[どんな行動をとった場合]→[どんな結果になるか?]
が予めルールにより決まっている
[北へ進む]→[お城が出て来る]
[北へ進まない]→[お城は出て来ない]
そう予めルールに書かれていて
では、プレイヤーはどっちの選択をするのか?(ここがプレイヤーのプレイング)
後はその予め書かれたルールに則って結果を返すだけ
プレイヤーが北へ進んだらお城をプレイヤーに提示する
進まないと宣言した場合お城を提示しない
では、プレイヤーは自分の行った選択によりゴールへ行けるのか?
または、プレイヤーのプレイ選択はルールによりゴールへ進めると裁定されたのか?
これを見て楽しむ遊びがゲーム
要するに予め[プレイヤーのどんな行動をした場合、どんな結果を返って来るか?]が全て決まっている
それがルールによって完璧に支配された空間
ゲームとはどんな行動を取ればルールによりどう裁定されるか?を楽しむ遊び
そして、その条件でゴール、勝利を得られるか?という遊び
裁定の結果自分はゴールへ行けたのか?
シミュレーションはプレイヤーの入力に対して直接的ルールによる対応がない
プレイヤーの入力はシミュレートの処理にかけられるだけで
その処理そのものにはいいも悪いもない
ボールを蹴ると物理則に則って前に転がる
それ自体には善悪はない
ゲームルール的な処理とは
プレイヤーの入力に対してそのままルールによる善悪が返される
ボールを手で持った場合失格だ
手で触れなかった場合合格だ
これがゲームルール的対応
ゲームルール的対応をいかに高濃度で入れるか?
それがよりゲーム的な対応を受けてると遊ぶ側が感じるゲーム
ゲームルール的対応=ジャッジがなかなか来なければゲーム的性質は低下する
逆にジャッジが早いはずのウォーシミュレーションのほうが駄目じゃん
さらにジャッジが早いらしいRPGの不満がスレタイだろ
長々と語ってる割に論点が完全にずれとる
RPGに持たれている不満が問題の解決案が信長の野望になるか?
といったらずれる
論点は合ってるはず
ここで書かれている事はRPGの問題点の解決としてのシミュレーションの立ち位置
今のRPGの問題を語るのにシミュレーションにしたら問題点を何も解決していないのと同じ
D&Dのルルブを読んでみたらどうかな
あれはRPGと国取りシムを
同じルールでやるぞ
参考になると思う
今のRPGは何故、ストーリーなぞるかお使いしか作れないのか?
要するに本来はそうでないという事で
そうでない事が求められる形態
そしてそのそうでない形態を作れないのは何故か?
あとはハクスラ
君の言う本来のRPGが「ストーリーも追わないしお使いもないRPG」なのなら
そんな味気ないゲームはこの令和の時代にエンタメとして求められてないからです
作る方にも、遊ぶ方にもな
1980年にでもタイムスリップなさったらどうですか
そんなことはないとかどちらかというととか言う前に、
このゲームをきっちり遊びきってから言ってくれよ
playstation.com/software/title/jp0571npjj00439_000000000000000001.html
ストーリーを追い
お使いしかない方が
味気ない
エンタメとして求められてない
ただストーリーを追ってたどってるだけ
自分では何も考えない
お使いしかない
作業をこなすだけ
自分では何も考えない
味気ない
やらされてるだけで
やる意味に疑問符が発生する可能性
早すぎる
紹介したゲーム遊べって宿題出したはずだぞ
パッド廻して4人まで協力プレイが売りだったけど
一番大きな顧客層だった団塊ジュニアが高齢化して、しんどいゲームから逃げてるのが一因じゃないかな
若い世代はーネット世代だからやりこみは対人がメインになってる
一人で攻略するRPGは人気ない
若い人は若い人で
生まれたときからJRPGというかお使い・ストーリー系RPGそばにある世代だから
それが当たり前になって、それらの要素をなくすことがマイナスにしか感じられないのよね
そんな事はない
お使い・ストーリー系RPGはJRPGとして馬鹿にされているからこそ
”自由度”を求める声が出てJRPGが下火になった訳で
そしてOW自体もゲーム的じゃない
そして疑問に思って調べるから本来のRPGを模索する事になる
何故OWにもストーリー系RPGにも疑問を持つかというと
それとは別に幼い頃に”ゲーム”として教えれた概念とコンピュータで言うところのそれとの意味が違うからで
自分で経験してなかったとしてもすぐに分かる事
ストーリー系RPGでもOWでもだめならどうすればいい?
?
でもこれだって若干のストーリーはある
ただゲームの邪魔をしていないだけ
ダラダラ長いテキストやムービー、声、陳腐でしょうもないシナリオが邪魔だって言うのはわかるがだから全部なくせいらんってのも極論すぎて
誰もそんなもの望んでない
それこそエンタメの否定だ
昔からRPGの障害ってアイテム(フラグ)不足とレベル不足だけで、レベル上げまくってうろうろしてればクリアできるものだし
ストーリーと「どこ行こう」なワクワク感があればありがたい
ワクワク感は寄り道サイドクエストでも賄えてる
ここで言うところのストーリーと「どこ行こう」という感は反するもの
ストーリーは次はここへ行きなさいと指示され行かなければいけない場所を指定される訳だから
自分で行ってみたい場所を自分では選べない
本来的にはレベル上げてフラグ立てればいいってものとは違う
ゲームマスターに要求される条件を揃えた場合にのみゴールへ進む事が許される
要するにゲームマスターとの対話を楽しむ遊び
・敵に戦闘で勝利する
・アイテムや会話でのフラグ立て
・特定の場所とタイミングでアイテムを使用
くらいでしょ
アクションゲームと違って反復学習によるプレイヤースキルの上昇があるわけでもなし
ストーリーだらだら追って脳死プレイするニーズもあるわけよ
その前の段階が重要
その前の段階がないと[お使い]になる
その前の段階のないものが[お使い] 「敵に戦闘で勝利しろ」→勝利する
「会話でのフラグ立てろ」→立てる
「特定の場所とタイミングで使用しろ」→使用する
これらはお使い
本来RPGではその前の段階が重要
敵に戦闘で勝利すればいいのか?
会話でのフラグ立てればいいのか?
特定の場所とタイミングで使用すればいいのか?
それをこれから発見する
ゲームマスターの目を伺い
挙動を伺って
>>43の
アンカー>>39は>>40に訂正させてくれ
以後読む人もそのように読み替えてくれ
その辺でOKなら、最近でたWiz外伝がお勧め
今のRPGだよ
そんなのは俺たち一般人が聞く話じゃありません
プログラミングの講義したいのなら他所へ行け
お前が講義するならオレらは抗議するわ
自分で好きなものを言っている訳ではないし
一人称が俺かどうかは分からない
世の中の売れ行きが下がったり評価が下がったり
または、批判が増えればそれは問題が存在するとみなされる
>>43
らとは複数形
他に同じ意見の人がいなければいけない
RPGに限らずゲームというものは必ず
プレイヤーの判断とその判断に対するジャッジによって成り立つ
プレイヤーがルール的に(勝つために)正しい行いと
そうではない、間違った行いを出来る状態にいて
実際に正しい行いと間違った行いをする前提にいて初めて成り立ち
正しい行いと間違った行いをルールの執行者が裁定する事で初めて成り立つ
裁定された”行い”は合格と失格に分けられ、ルールに従った結果を与えられる
ゲームマスターにプレイヤーが提示した行動は正しいのか?間違っているのか?
それによって勝敗は分けられ、参加者は勝ったのか?負けたのか?を楽しむ遊び
こいつAIのチューリングテストなのか
人間が書き込んでるわけじゃないんだな
他教を紛い物扱いして否定してるのに、否定するなと指摘すると
「いや、それは反対で今の人が本来の神を認めない排他主義者なんだ」
と被害者スタンスに立とうとする
どうせこうなる/こうならない→先の予測として遊んでるだけ
RPGって映像メインになってから、戦闘ってなんなの?まあFFのイメージだけど
最短クリア層もいるし、攻略本/攻略サイト繁盛してきたし
遊び方が効率と映像見るだけ、”見る◯◯”なんてうんちtuberいっぱいだし
RPGってもともとプレイ凄みなくて、こっち選んだらどうなるか?くらいの遊び幅
作るのもストーリーとか対するミニゲームどっちも行ってるからね
そうじゃないから呆れてるんだよ
構造が違っている
映像メインになってからの構造というのは
先にストーリーが来て、その後にプレイヤーの入力が来る
まず先にプレイヤーのすべき行動が決まって、そのごプレイヤーはそのとおりの行動をなぞる
北の洞窟へ行け、そして敵を倒して来い→だから北へ進む、そしてそこの敵を倒す
でも本来はそうなってない
まず先にプレイヤーの入力が来る
どこへ向けて進むのか?をプレイヤーが決める
そしてプレイヤーの行動に応じて結果が返って来る
正しい行いを取れればストーリーは進むけど
間違った行いをすれば別の結果になる
だから[攻略]というものが必要になる
「次回プレイヤーがどう行動するのが正しいのか?」
の正解を書かれたものが攻略
だから実質ストーリーが先に来て、そのとおりに行動するだけ
というRPGでは略本という概念がない
プレイヤーの取る行動が実質もともと決まって一つしかないのだから
正しい行動を調べる必要がないし、書いても意味がない
自分で考えて行動を決めるものでない=誰がやっても同じ行動しか取らない
だから動画を見るだけで満足する
実際その先品の中身はストーリーを読むだけなのだから
プレイヤーが様々な行動を取れるうち、正しい行動をとった場合先へ進める
それがストーリーになるという関係になる
そんなに支持が嫌いならクエストやらなければいい
好きな方向に突き進んで出会いを楽しめばいい
ゲームっていうのはゲーム目的のために行ったプレイヤーの意思決定(=プレイング)をルールによって裁定する事で成り立つ
その関係図が成り立たない場合に指示になる
その関係がないOWでは、プレイヤーが自分で行動する行動原理がないため
実際何もする事がない
だから何か指示をされなければ自分では行動が出来ない
「起きる出来事に受け身になる」
という事は要するに指示を受ける
指示を待つしかない
出会いにしろ結局は受け身にその出会いで受ける指示を受けるだけになる
能動的な自由というのはプレイヤーが目的を持っていて初めて成り立つ
おまえは機械かよ
なにか指図されないと何もできないのかよ
ママに食えって言われない限り飯も食わんのか?w
全ての人間は目的がない場合指図されないと何も出来ない
じゃあ空気吸うのもやめろよ
なんの目的もないだろ?
・どこかにゴーレムが守る町がある
・妖精たちはゴーレムを眠らせる
・温泉から南に4歩のところにいいものがある
のような断片的な情報を組み合わせてメルキドに入る目的をクリアする感じ
ただ、これについてはレベルをあげて力押しの解決方法もあり
「ゲームマスターに要求される条件をすべて集められた場合ゲームが展開する」
が満たされてないんだけどね
だからといって、これが不備だという指摘は聞いたことがない
どちらかというとその構図だと逆
「ヒントをもとに進む」だと指示を遂行するためのヒント
ゲームで必要なのはまずはプレイヤーの自由意思
自由意思による行動決定
それは予め決められていたルールによって裁定される
誤った行動を取れば失格にされたり行き止まる
正しい行いを取れた場合に先に勧めたり合格を得られる
ここまでが前提条件
それだけだと、どう進めば正しい道に行けるのか?分からない
なのでそこに正しい行動選択をするためのヒントが行動によっては見つけられる
ヒントを与えられ考えながら物語を進むだと
一本道をレールに沿って進むだけでも成り立つ
必要なのは自由と裁定
要するにプレイヤーが自分で物を考え次にする事を決めると
行き止まったり失敗する、または失格にされる可能性が存在する
という関係
次回進むべき場所を誤って北へ直進したら山にぶつかって行き止まりになった
これも間違った行動選択
強すぎる敵に出会って負けて失格にされた
これも間違った選択
プレイヤーが正しい選択を出来るのか?っていうのがゲームの基本
それは他が間違った道だらけだという事を意味する
「ゲームマスターに要求される条件をすべて集められた場合ゲームが展開する」
という事は要するに
通常は何か特別な事をしない限りゲームマスターに要求される条件をすべて集められないという意味
間違った行いをした場合ゲームマスターはこれを許可しない
その中での「ゲームマスターに要求される条件をすべて集められた場合ゲームが展開する」
要するに、ゲームマスターに要求される条件を満たさない可能性が作られている
または、ゲームマスターに要求される条件を満たさない可能性がデフォルト
ヒントを与えられ考えながら物語を進むだと
一本道をレールに沿って進むだけでも成り立ち、実際お使いはヒントを与えられ考えながら物語を進む構造
また、レベルを上げて通過出来るのなら
それもゲームマスターに要求される条件をすべて集められた事になる
逆にその要素抜いてた「ストーリー+ゲームもどき」でもエンタメとして売れる
そしてゲームの定義は広がっててこれもゲームと見なされてる
その「本来のゲーム」に閉じこもるには、CRPGは異質過ぎるんだよ
よっぽどじゃなければ
TVゲーム機で走らせるソフトはみんなゲーム呼ばわりよね
「ストーリー+非ゲーム」でも「動作環境+非ゲーム」でも売れ揚げは下がる
本来ゲームは遊んでいればやめられない依存性
ゲームに必要な最低限の構造はこれだけではない
・ゲームにはまずゲーム目的が必要
ゲームはゲーム開始前に名の達成すれば勝ちか?何位到達すればゴールか?
の勝利条件、ゲーム目的の提示が必要で
ゲーム開始前に原則としてプレイヤーがそのゲーム目的を認識している事が必要とされる
・ゲームにはプレイヤーが自分の意志で行動するための自由度が必要
プレイヤーの意思で行動するプレイングが、プレイングを実行するための場が確保されている
自由度が作られている
・ゲームはルールによって支配されている
プレイヤーはルールの中でのみプレイングを行使出来
プレイヤーの行ったプレイングはルールによって裁定され合格と失格に振り分けられ点数をつけられる前提にいる
ルールにより裁定された結果ゲーム目的を達成できたのか?それとも失格になったのか?未達成か?
それを楽しむ遊びがゲーム
別段特別なものではないし
異質でもない
それはRPGに限らず
全てのゲームで共通する構造
特別なものでないならいくらでも例を挙げられるよな?
おまえは今に至るまでタイトルひとつも挙げていない
部分的にでもおまえの理想を満たしたタイトルを挙げろよ
「ゲームマスターに要求される条件をすべて集めた場合ゲームが展開する」
という事は条件を満たさない場合が作られているという意味
ゲームのメインは実は、要件を満たさない側をどれだけ作り込むか?
>>85
例えばサッカーは目的として一定のタイム内で
点をライバルチームより多いポイント取る事
プレイヤーはフィールドに置いて自由に行動選択を行える
そして、すべての行動選択は審判によって裁定される
それがゲームの基本構造
・ゲームにはまずゲーム目的が必要
ゲームはゲーム開始前に何を達成すれば勝ちか?何に到達すればゴールか?
の勝利条件、ゲーム目的の提示が必要で
ゲーム開始前に原則としてプレイヤーがそのゲーム目的を認識している事が必要とされる
・ゲームにはプレイヤーが自分の意志で行動するための自由度が必要
プレイヤーの意思で行動するプレイングが、プレイングを実行するための場が確保されている
自由度が作られている
・ゲームはルールによって支配されている
プレイヤーはルールの中でのみプレイングを行使出来
プレイヤーの行ったプレイングはルールによって裁定され合格と失格に振り分けられ点数をつけられる前提にいる
ルールにより裁定された結果ゲーム目的を達成できたのか?それとも失格になったのか?未達成か?
それを楽しむ遊びがゲーム
条件を満たさない場合は、正解の行動じゃないから行き止まるんだろ?
迷路を考えれば分かる
迷路作りとはいかに正解でない道を作るか?
不正解の道を作る事を不要だから不要だと考え放棄したのが今のゲーム作り
不正解の道がなければただ道なりに沿って直進するだけ
ゲームとは不正解の道の中から正解のゴールに繋がる道を見つけ出す遊び
北が正しい道ではないのなら北に何か在るかのように見かける事
もちろん特殊な手順を踏めば不正解の道が正解になる可能性も
要するにゲーム作りとは何をしたら進めないのか?の方を作る事
でも今の人達は勘違いをしていて
何をしたら進めるのか?を作るから進める道しか作らない
また出来ない事を作る事は自由度を作る事
正解でない場所になにかあるかのように見せかける……?
自分が最近遊んだ中なら(もう最近じゃないかも知れないが)ゼノブレイド、ゼノブレイド2とかそんな感じだったが
別のクエストで意味がある場所もあれば、意味ありげに見えて本当に何もなかったり
んでその中から正解を求めてフィールド中、あるいは世界中を行ったり来たりするわけだが
あんたの言う「何をしたら進めないのか」を作ってるRPGって、具体的に何?
プレイが裁定されるって事は裁定されるって事は自由度が担保されているという事と同意
ただし、その自由はランダム性や運で決められる
というだけ
OWこそゲームにおける自由度がない
ゲームにおける自由度というのは、裁定されプレイヤーは勝敗に振り分けられるという事だから
裁定されふり開けられない以上、どんなに出来る事を作っても一本道を進んでいるだけ
>>100
正確にはプレイヤーが自分の意志で気になった場所を探し行動をする
自分の意志、自分のやってみたいという行動意思が自由度でゲームのプレイ
自分の思いついた事をやってみるのだから=自由度
そして、丁寧にプレイヤーの取れる行動パターンに対する結果結末を作って穴のないように埋める
という事がゲーム作り
仮に穴が存在した場合それはルールの不備
コンピュータのゲームで言うバグ
本来ここでは入れないはずの場所を使ってゴールへ近道出来たり
今のゲームの構造はその反対に進める道しか作ってないからそのような状態にはならない
作ってない道は進めないのが基本
本来はルールによって作られていない事は何でもやっていいのがゲームで
もうそろそろ、どうして誰もわかってくれないんだとか思わんのか
もう俺が聞きたいのはたった1つだよ
あんたの言う「何をしたら進めないのか」を作っているRPG、「プレイヤーの取れる行動パターンに対する結果結末」を作っているRPGって具体的に何?
これに答えてくれないなら、こっちからこれ以上言う事は無い
プレイヤーのプレイをルールにより裁定する事で勝敗を決める遊びがゲーム
双六はプレイヤーの選択が運によって決まるというだけでそのプレイングがルールによって裁定される
迷路はまさにゲームの基本的な構造
プレイヤーは自由に動ける場を与えられており
すべての行動を自由に決められる
そのすべての行動はルールにより裁定され行き止まりか
ゴールか裁定される
裁定によってゴール出来たかどうかを見る遊び
迷路は行き止まりを見つけて塗りつぶす作業だけで終わる、これも定義から逸脱
でも全部ゲームと呼ばれても文句は出ない
定義に当てはまるかよりも楽しめるかが大事
ストーリーをなぞる楽しみに重点をおく人はムービーゲーを買うし
困難を求める人はWizやエルデンリングを買う
サンドボックス的自由を楽しみたい人はマイクラやOWを買う
入力が受け付けてもらえないのか,話が先に進まないのか
「進めない」の意味は言い換えると減点やペナルティ
行き止まりの事
入力が受け付けてもらえない
と言うのは今のゲームの考えで
進む道以外の入力が受け付けてもらえない
また話が進まない開けでは実はない
失格というのも行き止まりというのも
実際のところ進んだ結果の失格や行き止まり
>>103
今の人達は自由度という言葉を、自在に自分の思い通りの結果に出来る事を指すけれど
自由というのはゲームにおけるプレイヤー可動出来る範囲の事
プレイヤーはプレイヤーの参加または入力及びプレイ並びに行動選択等において勝ちにも負けにもなり
1位にも2位にも3位にもなり
合格にも失格にも脱落にもなる
そのためにプレイヤーは裁定される範囲の稼働する場の範囲が与えられている
それが自由度
自在に自分の望みの結果を手に入れられるのは自在出会って自由ではない
> 自分のやってみたいという行動意思が自由度
> 自由というのはゲームにおけるプレイヤー可動出来る範囲
はあぁぁぁ?
コンピュータはお前の考えてることをそのまま処理してくれないの
だからあーいえばこう言うしあっちいけばどうなるって答えを予め全部用意しておかないといかんのだ
それを全部やれって言うのがどんだけ無茶苦茶かから学べよ
いくら駄々こねたって誰もなにも賛同せんわ
ゲーム以前にコミュニケーションから成り立ってない
むしろ逆で
ゲームのルールとはプレイヤーの全ての考えを網羅する
というのが原則
プレイヤーがコートをはみ出した場合
ボールを手で持って歩いた場合から
プレイヤーがライバル選手を殴った場合まで全て書き示されている
殴った場合の事が書かれていなければそれは不備
逆に言うと今のゲームの作り方は逆
プレイヤーは作者の作った事想定した事しかしない前提
なので作者の想定通りにしか動けない
こら!
昔のテニスゲームだって選手が相手を殴る操作なんかできんようになっとるわ
レトロゲームの時代の話だからって嘘つくんじゃねー
当時の人間がまだ生きててしゃべれるんだからな
テニスゲームとテニスは別で
ゲームとしての構造やルールも当然別物
現実のテニスで出来る事考える事
コンピュータゲームのテニスで出来る事考える事
例えば、現実世界でのテニスはプレイヤーがライバル選手を殴る事は想定される
でもコンピュータのテニスは考えられない
でもコンピュータのテニスはpcが引っかかる事が考えられる
場の中でどのような可動が可能なのか?
その稼働をした場合どのような裁定をされるのか?
それがゲーム作り
それを理解するために商品名一つ挙げてもしょうがない
具体例を挙げられないんなら質問を変えるよ
あんたの言う「今のRPG」の「今」っていつから後の作品の事を言ってるの?
全然音沙汰が無いw
日付が変わる前くらいまで待とうかと思ったけど、もう一回質問を置かせてもらいますね
あなたの言う「今のRPG」って、いつの年、もしくはいつの時代以降のRPGの事を言っているの?教えてください
あなたは様々な行動(回答)を試みる事が出来るけれど、正解とジャッジされる回答(俺やスレを見ている人が納得する回答)と、そうでない回答があります
もちろん「回答しない」という行動もあり得るわけですが、その場合のジャッジは……
最初はこんなにしつこくレスするつもりも無かったのに
俺は新参だけど、他の人のレス見る限り長い歴史のスレなんですね
タイトルを一つ出してもどこがそういう構造をしているのか理解は出来ないはず
実際理解出来ないから、それらをもとに代々作られた新しい作品たちにそれらが継承されていないのでは
商品を見ても理解は出来ない
実際迷路や双六がゲームの構造を持っていてもそれを認識出来ずゲームでないと思ってしまう
また、OWやストーリーを読むゲームがゲームと違うものだと認識が出来ない
それは紫外線を見れないのと同じで
竜王を退治するにはどうやって…とかは道中全く考えてなかったな
楽しんでたのはクリアではなく過程だった
逆に考えてみれば分かる
それからレベル上げや装備更新以外の要素を全てとったら面白いままか
ただレベル上げと装備更新を無駄に続けるだけ
ゴールへ進むために必要な要件がレベル上げや装備更新だからこそ
レベル上げや装備更新が楽しい
レベル上げや装備更新をする事でゲームマスターの、求める条件を満たし先へと進められる
強さや新しい力を得る事でゴールへ向け進むために、新しい場所に進む事が出来るようになる
自分で行ってみたい事、試してみたい事、探究心が持てなければ
それらはただの苦痛になるはず
ストーリーに引っ張られる形でのレベル上げにそれがない事で理解出来るはず
またOWでは進めても当たり前の事以外何も起きない事で探究心が得られない
楽しいのは過程なのは当たり前
試行錯誤と探究心を伴う
ストーリーRPGにもOWにも過程がない
予め決まった結果をなぞるストーリーRPG
起きる事が最初から分かっているOW
バカなこと言ってないで働け
>>159
要はここはRPGとADVの線引きを明確にしたいスレなのか?
ここではサッカーとRPGが実質同じものだという理解を与えるための場所
>>165
流行ってはいない
>>166
「はずだ」とは一度も書かれていない
それを娯楽として楽しめる人間もいる
基本的にはゲームとしての面白みは持っていない
ゲームを求める対象には不評になる
でもすぐ慣れて飽きるはず
でもすぐ慣れて飽きる「はず」
「はず」「はず」「はず」「はず」
「はず」は「はずだ」ではない
>流行ってはいない
TESやFOの売上知った上での発言か?
ゲームどころか現実エアプだなおまえ
寄ってみたら強敵がいてレベル不足で殺された
レベルアップ後に再戦し勝利、宝箱から強い装備を入手した
ゲームマスターとかクリアとかメタ的要素抜きで、俺はそれだけでOWRPG楽しんでたよ
でもすぐ慣れて飽きるはず
何故ならばそこで殺される事に意味がないから
RPGにもゲームにもプレイヤーの行動には意味が求められる
ゲームマスターはその遺跡に何の意味を用意しているのか?
それを知る事がゲームの面白み
それを知りたいからこそ苦労してそこへ入るための条件を遠回りしながら見つけ出そうとする
OWRPGでは入ってそこで手に入れられるものにも起きる事にも何の意味もない
そこで強い装備を入手しようと参加者にとって意味がない訳で
それで自己満足で済む人間にのみ受け入れられる
作者の作った意味を解き明かし真実に到達した、探究心への満足感程は得られない
実際多数の人間がそのOWRPGの構造を絶賛出来ていない訳で
RPGには意味が必要で
RPGとは意味を作った作者及びゲームマスターとの会話
すぐ飽きられるゲームが世界中で流行ってるのはなぜ?
ばーか
プレイ時間今確認したら500時間超だった
そのくせクリアは1回しかしてない
なにが「はずだ」だ
俺の存在がお前の理論が全てじゃないこと証明してる
ちなみに、差し支えなければ何の作品か聞いてもよろし?
Skyrimですわ
ライブラリ調べたらLEで300時間、SEも同等くらいプレイ
一時期はmodいれてたけど現在は素の状態に戻して
今も時々プレイしてますよ
ああ!自分はプレイした事ないけど、確かにあれはハマってる人をよく見かけますわ
500時間超えというのも納得
Switch持ってないからプレイしてないけどBotWも間違いなく名作だと思ってます
Witcherとアサシンクリードシリーズは個人的にはあわなかったけど、人気がある理由はわかる
血の通った人間の考え方じゃないね
人の脳を生体CPUって言いそう
おつかい→サブクエストでアイテム等を持ち帰る
ストーリーをなぞる→これはそのままエンディングに、むかう
みたいなもんかなぁ。ふわっとしてるけどなんかアレばどうぞ。
おつかいがクエストでストーリーなぞるが強制イベントでよくない?
横からだけど自分もそんな感じかと。
逆に「ストーリーをなぞらない」とか「お使いがない」RPGはどんなん?ってのが
ストーリーがないRPG、で個人的にパッと思い付くのは「ルナティックドーン」
例を挙げようとしたら8ビット機時代のパソコンゲームがいくつか浮かぶかなあ
84〜6年辺りのパソコン用のRPG
8ビットPCだと8801や8001あたり?
したことあるの別ハードだかソーサリアンくらいだな
あれはおつかい特化ARPGだった
>>217が言ってる時期はソーサリアンより少し前だな
アレは’87年なので
8801にもSR以降と以前があって、>>217が言ってるのは以前の方
ここら辺の細かいところは「PC8801ゲームライブラリ」で見れる
しばらく文字化けしまくってたけど最近復旧した
PC88 RPGでググってみた
前期で有名どころのRPGだとブラックオニキス、夢幻の心臓、ハイドライド、ウィザードリーあたりかね
Wiz以外はプレイしたことないけど、昔のRPGとしてよく名前が上がってるな
その時期のゲームでPC用ゲームで一番売れたゲームとして記録作ったザナドゥてRPGはパズル要素(というかリソース管理?)が強くて
戦略練らないと文字通り ”詰む”
だからPCユーザーはドラクエシリーズでRPG知ったFCユーザーに
「死んでもたやすく生き返るような子供騙しのゲームではしゃぐなよ」
的な捻くれた見方してた人も多かった(ま、この感想も厨二病的な見方だけどね)
FFにいたっては(特に4以降は)勝手に話進むゲームをRPGって言うんじゃねえ!AVGじゃねえか!って感じで見てたし
俺が思うのは>>221の言ってる通りソーサリアンより前だね
俺としてはPC用ゲームもYs以前か以後かで様式が変わってて
Ys以後はFC用RPGみたいなクリア出来ることを前提に作られたゲームがPCにも輸入されてがらっと変わった印象なんだよね
同じ作者が作ったゲームでもソーサリアン(Ys以後)はプレイヤーに優しくザナドゥ(Ys以前)は厳しすぎる感じ(と言ってもソーサリアンも不老不死使わないと難しいけどね)
Ys以前はPCゲーム(特にRPGやAVG)は、ソフトハウスは絶対クリアさせない、プレイヤーは絶対解いてやる的な仲良く喧嘩してる感じでそれも踏まえて
RPG楽しい!な感じだったからね
強制イベントなんてもちろんあるわけなく、小クエストや中クエストどころか何のためにこのゲームやってんのか?てか、クリア条件何?的な大クエストも説明書に無くて
クリアしたときに初めてゲームの意味がわかるゲームもあったからね(AVGだけどレリクスとか)
あぁ、ザナドゥはプレイしたことある
当然のように挫折した
どんなゲームだったか忘れたから説明書読んでみたけど、あれなにすればいいゲームか全く書かれてないなw
イース以降クリア前提になったと言うのには多くの人が言ってるし、俺も同意
ゲームが一部の人を対象にした作品から、大人数を対象にした商品に変化したと考えてるし
オレは後者を歓迎した側だった
ドラクエでRPGを初めて触ったキッズより少し前にPCでRPGに触れた俺なんかは
「RPGはSLGのサブジャンル」
と刷り込まれてるところあるから、スクウェアがSFCでぶいぶい言わせてた時代以後のRPG見ると
RPGの間口(新規ユーザーの獲得)を広げてくれて「終わったジャンル」にならないようにしてくれてありがとうって気持ちと
もしあの頃のままSLGのサブジャンルとしてわかる奴にわかればいいってマニア向けのノリで進化してればどうなっただろう?
当時日本の各メーカーが”プレイヤーに優しい”に拘り続けなければ(海外みたいにダンジョンマスターやドラッケンみたいに実験作をやってれば)
スカイリムみたいなオープンワールドRPGは日本のメーカーが最初に作ったんじゃないか?
だってサターンで日本のメーカーだってバーチャルハイドライドってオープンワールド前夜的なゲームを出してたじゃん
的な寂しさみたいな感じが複雑に入り組んだ感覚になる
ロマサガシリーズとかはスーファミ時代にしてはかなり攻めた意欲策だったと思うよ
進め方次第ではあれも詰みかねない
ただ、あまり支持されされなかったのか3はかなりマイルドになったな
まさにほぼ「ドラクエで初めてRPGに触れたクチ」です
実際の初めては魔界塔士サガでしたが
ロマサガ1・2も詰みました
「戦闘回数で敵が強くなる」のシステムだけ、どうにか別の仕組みだったらなあと思ったもんです
上で挙がってた中では、ダンジョンマスターのSFC版をプレイしたくらい
ストーリーそっちのけで世界に浸りたい、歩き回りたいと思ってるタチなので、テンプレ内容であったとしてもクエスト自動生成システムがあると有難いです
ストーリー不要ならクエストもいらなくね?
ストーリー(ゴール)はいらないけどクエスト(日常)は欲しいってことじゃないかな
いつかは飽きが来るだろうけどそういうゲームのんびり続けたいって気持ちはわかる
ストーリーは、あったらあったで良いんですけどね
エンディング到達後も「まだまだこの世界に浸かっていたいぜ」って事があると、クエスト自動生成とかはまあまあ有難いな、と
自分が遊んだ中では、テイルズのレディアントマイソロジー3とかがそれで(といっても依頼人の名前、討伐や採取の対象が変わるだけですが)それなりに続きました
お勧めするならまさに>>245
実は>>214でルナティックドーンを挙げてたのも俺なんです
タイミング(?)が合わなくてプレイしないままここまで来てしまいましたが……
お勧めしていただけるなら手を出してみようかな
オープンワールドだとクエストの数多いから
世界巡りついでにクエスト探してると無限ではないにしろ数百時間は遊べるね
有名どころのクエスト数をざっくり調べてみた
ゼルダBotW(2017) … 70
フォールアウト4(2015) … 120
ウィッチャー3(2015) … 200
スカイリム(2011) … 500
GTA5(2013) …800(オンライン含む)
ドラクエでRPGを初めて触ったキッズより少し前にPCでRPGに触れた俺なんかは
「RPGはSLGのサブジャンル」
と刷り込まれてるところあるから、スクウェアがSFCでぶいぶい言わせてた時代以後のRPG見ると
RPGの間口(新規ユーザーの獲得)を広げてくれて「終わったジャンル」にならないようにしてくれてありがとうって気持ちと
もしあの頃のままSLGのサブジャンルとしてわかる奴にわかればいいってマニア向けのノリで進化してればどうなっただろう?
当時日本の各メーカーが”プレイヤーに優しい”に拘り続けなければ(海外みたいにダンジョンマスターやドラッケンみたいに実験作をやってれば)
スカイリムみたいなオープンワールドRPGは日本のメーカーが最初に作ったんじゃないか?
だってサターンで日本のメーカーだってバーチャルハイドライドってオープンワールド前夜的なゲームを出してたじゃん
的な寂しさみたいな感じが複雑に入り組んだ感覚になる
ドラクエでRPGを初めて触ったキッズより少し前にPCでRPGに触れた俺なんかは
「RPGはSLGのサブジャンル」
と刷り込まれてるところあるから、スクウェアがSFCでぶいぶい言わせてた時代以後のRPG見ると
RPGの間口(新規ユーザーの獲得)を広げてくれて「終わったジャンル」にならないようにしてくれてありがとうって気持ちと
もしあの頃のままSLGのサブジャンルとしてわかる奴にわかればいいってマニア向けのノリで進化してればどうなっただろう?
当時日本の各メーカーが”プレイヤーに優しい”に拘り続けなければ(海外みたいにダンジョンマスターやドラッケンみたいに実験作をやってれば)
スカイリムみたいなオープンワールドRPGは日本のメーカーが最初に作ったんじゃないか?
だってサターンで日本のメーカーだってバーチャルハイドライドってオープンワールド前夜的なゲームを出してたじゃん
的な寂しさみたいな感じが複雑に入り組んだ感覚になる
始まると指示を受けその指示をもとに行動をする
そこから指示が始まる
本来ゲームはゲーム目的を達成する遊びなので
自分から能動的にゴールを探す前提にいるのでここからまず失敗している
ゲーム目的が提示されないからする事がない
OWが放り出されてする事がないのはそのため
またストーリー主導のものも同様に目的が提示されないのでする事が自分にはない
なのでストーリーに指示される事でのみ進む事が出来る
要するにどちらもおつかいの構造になるのはもともと決まっている
仲間にするNPCはランダム生成
>>263
> 何らかのランダム性や自動生成などでやるたびに変化するものはやる側のやる気を削ぐ
ザナドゥ
ゲーム開始時町に投げ出され目的は不明
>>223
> そしてまず今のゲームと名乗るものにはゲーム目的が提示されない
まずこの辺はRPG以前にゲーム失格ダゾ
>>271
「過去はどうだったか知らないが、今現在はこうだ」という使い方も出来る
要するに過去は関係ない
また
「今はこうなので、未来はこうしたい」
という言い方も出来る
>>272
ランダム生成はやる気を削ぐのは確か
そして目的が提示されないものはゲームではない
コンピュータが作られた年代はすでに現代と言える
電気を扱えインフラが整った
AIのお前には悪いが俺ら人間とは話が合いそうにないから
これ以上やり取りしても有意義な会話にならん気がする
仮にそうじゃなくてもAI気取りキャラをやめるまでは
お出直しください(天理教的な意味で)
人間同士の会話、話し合いは通じる
質問をしその答えは返される
その繰り返しこそが理解を深める
その応答によって徐々に理解は深まっている
完全に伝達出来なければ繰り返す事で完全に理解は深まるので問題ない
>>275
そのタイムラインにおいてはゲーム目的が提示されていなかったりランダム性は主軸ではないはず
今現在はゲーム目的が提示されないのがデフォルト
そして仮に本来のゲーム構造に違反したとしても意味合いは今のものとは違い
そのラインで目的が提示されなかったとしても、プレイヤーには何をするかは分かる
今のゲームは指示がなければ実際にする事がない
なので指示が必須となる
指示とはお使いの事
コンピュータが作られた年代が現代なら、お前にとってコンピュータRPGはすべて「今のRPG」か
TRPGのダンジョンズ&ドラゴンズも1974年らしいが、その時代に既にコンピュータはあったらしいから、年代だけで言うならこれもお前にとっては「今のRPG」か
もしそうならRPG全部じゃねーか いちいち「今のRPG」とか言うなよ
あー 自分で書き込んでたの忘れてたわ
>>275で、ダンジョンズ&ドラゴンズもコンピュータが登場して以降の年代に作られたから、TRPGもお前にとっては「今のRPG」だなって
何か「そのタイムラインにおいては~」とか返してたけど、お前にとっての「今」はコンピュータが登場して以降なんだろ?
後付けしてんじゃないよ
途中に横にそれられるようにすべき
エンディング到達後はそれはゲーム外になってしまい惰性になる
仰天の頭の悪さ(笑)
君はゲームのおもしろさについて何一つ分ってない
一回クリアまで遊んだらヤリ捨てするのが前提になってそうだよね
ゲームの面白さは勝敗とプレイと裁定性
勝敗とはゲームの本質で在り根幹そして勝敗とは勝敗条件を指す
勝敗条件とはゲーム目的、ゴールの事
プレイとはプレイヤーの行動、要するに自由度を指す
そして裁定性とはルールによる審判の事
それによって勝敗を分けられる事がゲームの面白さの本質
>>258
ゲームとは何度もやるものです
例えばテニス一回試合したらもう二度としない
そんな前提で始める人はいない
ゲームとは勝敗
何度でも勝ちも負けも楽しむ前提にいる
一回やったら何度でもまた始めるのがゲームは前提
エンディングの後に何かをまだ続けている方こそ一回遊んだらヤリ捨てするのが前提
エンディングまで行ったらもう一度始める前提にないので、そのまま何らかの余分な余興を増やす事でかさを増そうとする発想
この発想はゲームを一度遊んだらもう一度始めるように作れる技術がないから起こる発想で
様々な要素を詰め込まなければプレイヤーはそれを遊ばないという思考回路
でもサッカーやテニスは別に追加される要素は一切ない同じものを何度も遊ぶ訳で
その発想と構造がないため追加要素を入れたがる
やる度にゲームの流れも勝敗も変わる対戦スポーツの理論が当てはまるわけない
それはストーリーをなぞるだけだから
内容は実質ストーリーを読むだけで、なぞる行為はお使いと作業しかない
だから二度目を始める様になっていない
>>261
迷路は何度もスタートからやり直す事の出来る遊び
二度目は進み方を知っているのでゴールをする気になれば苦労しないで進める
それを含めて楽しむもの
どちらかというと発想が逆で
やる度にゲームの内容が変る方がもう一度始めるのに不向き
二度目をすんなり始められるのはゴールまでの道順を知っていて簡単に進めるからで
そしてスポーツは基本的に同じ事をやってる
勝ちまでの手順は決まっていてそれをどうこなすか?を追求しているだけで
やるたびに変ってる訳ではない
何らかのランダム性や自動生成などでやるたびに変化するものはやる側のやる気を削ぐ
こう考えてみれば分かり良い
スポーツで始めるたびにルールの基準が変り
位置から把握しなければいけない
人間は何故か、新鮮で新しいものが受け入れられるんだ
と勘違いしているが、実際は新しいから面白い訳ではない
知ってるから面白い
そして勘違いしているから、人間は新しいものを目指そうとする
そして、勘違いなので決してその思惑どおりの結果にはたどり着かない
RPGだけじゃなくてコンピューターゲームを全般的に否定してね?
奴の言い分では、ルール外の事も試みる事は出来る自由度が無いとダメらしいし、「(奴の言う)今のRPG」は製作者の作った事しか出来ないから思想がなってない、と
で、昨日のレスで「コンピュータが作られて以降は俺にとっては『今』」って言い放ちましたからな
コンピュータゲーム全否定と言っても過言ではなさそう
> ルール外の事も試みる事は出来る自由度が無いとダメらしいし、
>製作者の作った事しか出来ないから思想がなってない
これ言い出したら今流行りのRPGどころかインベーダーやブロック崩しまで否定だよね
製作者の作ったこと以外できるゲームて何?
てか、製作者の意図しないこと出来たらそれ「バグ」じゃん…
奴の考えを俺が説明するのもアレなんですけど、スレの上の方のやり取りの感じだと、例えばTRPGで「盗賊のアジトに攻め込む」というシチュエーションがあったとして、プレイヤーは「正面からカチ込み」「夜まで待って奇襲」「入口以外の侵入経路を探す」「街の自警団に応援を要請」など、およそプレイヤーの思いつく事は何でも試そうとする事は出来る、と
で、ゲームマスターはそのプレイヤーの思いつきに対してこうなる、ああなる、出来る出来ない、成功判定してねなどの判断をくだす……と
「(奴の言う)今のRPG」にはこういう自由度がない、って事なんですって
上の「盗賊のアジトに攻め込む」も、コンピュータRPGだと製作者の用意した選択肢しか試せない、と
……なんで俺はこんな説明をしているんだろうw
つまりプログラミング否定じゃんか
マジにコンピューターゲーム全否定か
奴の場合、いかに周囲レスに対して否定するかに拘泥してるから
長いスレだと、レス番が上の方で自分が(他人の意見に対してそれは違うとばかりに)言ったことと同じ内容を
後の方のレス番で他人が言うとそれを否定する=自分で自分の考えを否定する
なんてこともしてたみたいだからね
> 例えばTRPGで「盗賊のアジトに攻め込む」というシチュエーションがあったとして、プレイヤーは「正面からカチ込み」「夜まで待って奇襲」「入口以外の侵入経路を探す」「街の自警団に応援を要請」など、およそプレイヤーの思いつく事は何でも試そうとする事は出来る
スカイリムでよくね?
> ……なんで俺はこんな説明をしているんだろうw
わかりやすい解説ありがとね
逆
ルールが全てのプレイヤーのとる行動を予測し網羅していなければいけない
どんな行動をプレイヤーが考えついても
それはジャッジまたはゲームマスターの手の上にいるのがゲーム
ラインの外から攻めようとしても、殴ろうとしても
どんな行動も作者に網羅されており、そのすべての行動は裁定され審判される
そんなルールの穴を突いて進むのがゲームの基本概念
例えばサッカーでは手でボールを触れてはいけない
手で触れてはいけないという事は、手以外だったら触れてもいい
足や頭や胴だったらいい
ゲームの進行というのは以下にしてルールの裏をついて進むか?
今の作者の考える、自分の作った道の上の方を進むという思想の正反対
ゲームマスターはこの通路を通さないために壁を敷いた
でも見てみると壁に一人分の通れる隙間が空いている
そうしたらそこを通過していいというのがゲームの思考
根本的に思考回路が逆転している
人間の考えでは、ゲームとは出来る事、やっていい事を作る
進んでいい道の方を作る
だから出来る事を一つ一つ作らないとそれ以外の事は出来ないという前提
出来る事の数を増やしたのがOWの考え
本来ゲームとは出来ない事やってはいけない事を作る
通れない道、要するに壁の方が作者の作るべき対象
壁のない場所は自由に進めて当たり前という考え
なので自由に進めないように漏れの内容徹底して穴を塞ぎ
そうする事でプレイヤーのやってもいい事を限定する事で成り立つ
>>286
TESは自由度が低い
お使い構造になっており、出来る事がリスト化されている
>>287
本来的にはプレイヤーの自発性と、プレイヤーの判断は場の状況からの受動性によって成り立つ
なので場が分からないならプレイング自体が成り立たない訳で
生来的に人類は同じ迷路を何度も楽しめる
例えば食事を楽しんだ人が次の日もその次の日も同じように食事を楽しむ
口の中にエネルギーを詰め込めばいいってならない
毎日同じような会話を人として、毎日同じような趣味をする
それが人間の楽しみ方
>>280
元々RPGはお使いではない
けれどお使いを入れる事も出来る
でも決定的に違うのは、今の言うところのお使いはお使いをする事でプレイヤーが得るものはゲーム的にはない
また先にプレイヤーのやりたい事、欲しいものが先に来ていてそれを得るためのお使い
例えば向こうに橋を架けるためには〇〇をしなければいけない
この関係だと先にプレイヤーの望みが来ていて
それを得るために支払う対価がお使い
それをすれば望みが得られる
望みを得るために行動をする
今の言うところのお使いは特に必要性を持つ目的はないところに命令が来て
それをこなす
ストーリー主体のRPGではプレイヤーには何の要求もないところに指示が来て
それをただこなし先へ進む
OWのQuestでは報酬のために指示を受けるが
その報酬自体得る必要性、必然性がないもの
その依頼をこなす必然性がない
おまえもしかして毎日同じ献立しか食ってない?
おまえの入れられてる座敷牢ではパンと牛乳しか出ないのか?
どんな迷路好きでも同じ迷路を何度もやらんよ
おまえの理屈でいけばあらゆるエンタメ業は成立しないはずだが
同じものを何度も楽しめるなら金を出してつまらないかもしれない新しい物を買うことはない
食べるという行為に違いはない
どちらかというと迷路は一度ゴールしたものの方が全ての人類は楽しめる
一度分かったものの方が楽しめるのは当たり前で
ゴールの仕方の分かったものこそ何度も反復して楽しめる
一度人気が出ると同じような類似なものが多発する
もしも、一度楽しんだものは楽しめないというのなら類似するものは誰にも売れないし
売れないと思うからそもそも作らない
しかし実際は売れたものはその類似作品、及び類似品が大量に作られる
それはゲームには限らない
映画等では名前の似たもの続編と間違えるようなタイトルを付ける場合も
そして基本的には新しいものは売れない
それが面白いものだと認知されるまでそれが美味しいものだと認知されるまではなかなか売れない
ゲームでは間違った新しいものが売れるというい思い込みのもとで作られそしてそれを購入しそして低評価をつける
>>297
ランダム性によってもしも楽しめるならそれは繰り返し楽しめるとは言はない
繰り返すとは同じ事をする事
なので違う事をする事を繰り返しというのは誤
迷路等を何度も楽しむのは解き方を知っていてそれをもう一度体験するため
逆に考えれば分かる
迷路がランダムでやるたびに変化するのなら
人間は折角解いたものをもう一度同じ工程をやらなければならない
それを楽しめるかどうか?
全ての人間は面白かったものは何度でも同じ体験をしたい
楽しかった行程を追体験したい
そう考えるのがすべての人間
>ゴールの仕方の分かったものこそ何度も反復して楽しめる
おまえの理屈で言うなら世の中にはひとつの迷路だけがあればいいわけだ
だが現実には数えきれないほどの新しい迷路が作られてきた
おまえの論は現実に立脚していない
ゲームどころか人間そのもののエアプだなおまえは
>一度人気が出ると同じような類似なものが多発する
話をすり替えるな
同じ迷路とおまえは言った
自分の言った言葉に責任を持て
『類似』は同じではない
まったく同じ迷路は楽しめないから類似の物が作られ売られるんだろうが
ひとつの迷路を楽しむが類似の同じようなものも楽しみたいのが人間
類似お楽しむが同じものも楽しむ
>>301
実際すべての人間は同じ迷路を何度でも楽しめる
楽しめない根拠が提示されない
また楽しめないと思い込みがそもそもの間違い
>>302
どちらかというと
特定の事柄に拘っているのは反論者
拘りがなければ理屈を受け入れる
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