ホーラルーの抱いてたモーゴッドから出てる導きが主人公に向いてたのはモーゴッドがあいつにやられました!て指してたのか
その上正直なところ祝福の導きがミケラのものだとすらとても思えない
彼のこと万能視しすぎじゃないか?
祝福もその導きもエルデンリングの力だというのはもはや前提の域であって変に疑う部分じゃないと思うんだよな
ラダゴンとはマリカであるだってとっても大きなひっくり返しだったからこそゲーム内ではしっかり演出を持って明かされたことだったわけだし
デミゴッド以外にもあらゆる方向を指してるのは申し訳ないけどゲーム都合的な部分だとしか思えないというか…
デミゴッドも再誕する的な描写もあるし、フィア関連のイベント追うとそういう説が出るのはわからんでもない
まぁでもセキロを除いて今まで主人公って名無しの権兵衛だったわけで、作中の人物の生まれ変わりですよー的なのは無いと思いたい
個人の感想です
隻狼みたいな固定主人公モノならともかく、エルデンリングはプレイヤーキャラクターを自由に作って好きなロールプレイを楽しんでね、ってゲームだからな
正直「かつて狭間の地を追放された戦士の子孫」ていう明言されてる設定ですら、そこそこ踏み込んできたなと思った
これね
もうちょい説得力があればいいんだけどどれも今思いついたろみたいなのばっかりだし
ミケラ関連の考察は語られてることが少ないのをいいことにこじつけ放題になってる
ラダゴンに「お前はまだ、私ではない。まだ、神ではない」と言っていることからマリカはどこかのタイミングで神の視座に達したんじゃないかな
神人から人の要素(金仮面卿の言う人のごとき心)を切り離した、その結果生まれたのがラダゴンっていう
俺は真逆の印象だな
マリカは結びつけたイメージできるけど、ラダゴンは相反する情報が存在しすぎて全然結びつかない
自分の目的にストイックで合理性の塊のようなイメージ
ミケラとの関係も良い父親を演じてるように感じちゃうくらい違和感がある
考えられるとしたら
元々竜王なので特別そういう身体という説
アズラを崩壊させた隕石とは黄金のエルデの流星で、そのエネルギーでなんか侵食された説
それか…ちょっと突飛ではあるけど、黄金律に改宗した影響って可能性もなくはないのか?
何にせよプラキドサクスだけ身体が普通じゃない
まあそもそも四つ首が普通じゃないんだけど
自分の象徴みたいな大剣レナラにもらった剣ベースに作るくらいだし愛情が無いとは思えない
そもそも女王とはいえ魔術師とかいう元々狂ってるのが普通の奴が痴情の縺れごときで廃人になるはずがない
レナラが心を失くしたのは別の理由があると見た
あるいは全て偽りで、レナラの探究がそのような結果に終わったから容赦なく捨てて何一つ悪びれもしない筋金入りのサイコパスか
黄金律は全てを支配するというテキストを額面通りに受け取るなら、黄金律の信奉者であるラダゴンは黄金律に支配されてる魔術であるレナラから貰った大剣を、自分のものだと思ってるんじゃないかな
そこに愛情があるというより、レナラから貰った大剣をモデルに黄金律を模した剣を作って魔術と信仰の両方を支配した証のような印象を受ける
つまり、筋金入りのサイコパスっぽいイメージかな俺は
俺もこれだと思うな
フロムの地の文から人柄とか良好な関係性とか想像する人多いけど、これが考察においてはかなりノイズだと思うな
結局全てどっちともとれる書き方されてるしどうあってほしいかの願望込みになってしまう
なんならフロムってそれ込みで、対外的には良好だけど実は本心ではみたいなことしまくるわけだし
ラダゴンの人柄に関して一番公正な評価をしているのは、その関係性や語り手に嘘をつく理由や騙されている可能性がないことから黄金律の犬というマリカの言霊が一番正確だろうね
ラダゴンは一言も喋らねぇのがなぁ…
BGMだけ盛り上がってるけど
三本指におけるシャブリリと二本指におけるラダゴン
そう考えるとマリカのまだ私ではないって台詞はラダゴンによる乗っ取りにマリカが抗ってい。る様子であるとわかる
〜の犬という呼び方には、何らかの悪意や敵意があるように感じられる
次の時代を望む大いなる意志(の操り人形のマリカ)と黄金律の時代を続けたいラダゴンの対立構造があるように思う
> おお、ラダゴンよ、黄金律の犬よ
> お前はまだ、私ではない。まだ、神ではない
> さあ、共に砕けようぞ!我が半身よ!
対立してるということと、最も近い位置で見ているマリカが黄金律の犬と呼ぶくらいにはラダゴンの行動原理が黄金律最優先であるとわかればそれで十分では
マリカは黄金律やめたい、ラダゴンはひたすら黄金律続けたい、マリカが言うことを聞かないなら次なる依代を作るし、その過程で黄金律以外のものは黄金律のもとに収めたい
非常にわかりやすい行動原理
主人公が入場してあの拘束が解かれてラダゴンになったの考えるとラダゴンはエルデの獣にほとんど侵食されてたってことでいいのかね
黒いモヤモヤの腕が第二形態のムービーでエルデの獣の体になるわけだし
縦尺食ってごめんよ
過去作以上に周囲がぽっかり開けられてて考察映えしない事この上ない
神様らしいと言えるし、考察においてもまさに幻視の器
自分が食らった時は眩し過ぎて気付かなかった…
律の砕けの罰としてマリカを捕えるってことを実行したのはエルデの獣と考えていいのかな。
これ以上砕かれないようにってエルデの獣自身が行ったことなのか、大いなる意志が指示を出して行わせたのかってところは分からないが。
また、ラダゴンとエルデの獣の攻撃って一部似てるね。
左から右に武器を振り払って床を光らせる攻撃はそれぞれやってくる。
エルデの獣が剣から衝撃波を飛ばしてくる攻撃は月光派に似てるな〜と思うけど、これは邪推し過ぎかも。
ラダゴンはその身の中にエルデンリングが宿ってるわけだから似た攻撃をしてくるのは当然ちゃ当然なんだけど、
ボス戦時の彼は肖像画や彫像に反して両目を瞑った状態で襲いかかってくるから、中身に操られてる状態って可能性もあるのかなと思った。
これは個人的な印象に基づく話だけど、マレニアみたいに明らかに人間離れしたモーションでさえ人間らしい力みや重心の移動が表現されているのに対して、ラダゴンのモーションてわざと無機質に作られているように見える。(例:還樹の番犬)
もしボス戦時のラダゴンが操り人形状態なのだとしても、あくまでも“自身”の赤毛を嫌ったり、人のごとし心って言われるようなものを持ったラダゴン自身の人格がどこかの時点まではあったんだろうけど。
>>761
手に関しては作画した人の癖だと思う。
あの肖像画、パースがほぼ付いてないにしてもかなり手が小さいし、マッチョな成人男性の手としては薄すぎるのね。
あの手はあまり時間をかけて描かれたものではないのかもなって感じ。
それは置いといてあの肖像画イケメンだよね。円卓のラダゴン肖像画の前で跪いて祈祷のエモートやってるプレイヤーの幻影を見たわ。
エルデの獣とエルデンリングは大いなる意思と黄金律の両方の中立あるいは日和見的に位置する立ち位置だと見て良いと思う
黄金律の象徴だけど大いなる意思によって祝福の導きに利用されてる黄金樹も中立の立ち位置だとおもわれる
黄金樹やエルデンリングは大いなる意思も黄金律も利用してるから、それを粉砕したり燃やすのはどちらにとっても都合が悪いんじゃないだろうか
そう考えるとマリカは割と過激派に思える
黄金律を一つの人格とするの?
黄金律=エルデの獣=エルデンリングはまだ成り立つけど、それぞれに人格や別の指向性があるのはちょっと無理筋じゃないかな
エルデンリングは世界の理やルールを規定する作用を指す名称
黄金律は現在のエルデンリングの治世の名
エルデの獣には二本指みたいに大いなる意思とは別の人格があっても良いとは思う
黄金律側ってのはラダゴンとか円卓二本指とか
黄金律側は1つの勢力としてまとまってないしリーダーも居ないしね
あと、エルデンリングは器であって、その器に乗ってる料理が黄金律って感じなんじゃないかな
黄金律はエルデの獣の一形態だから「エルデの獣の意思」が反映されるというなら理解できるのよ。>>803 はエルデの獣と黄金律を別と捉えてるから、そこ分ける必要あるの? って聞いてるのよ
あとラニの台詞は、律が魂と生命と共にあって切り離せないから、誰かの意思によって律(によって生命が)がいじられないように遠ざけようって話で、律が独立した人格を有するなら離したところで無意味じゃん
黄金律の神人であるマリカがエルデの王を伴侶にして神となったから成立したのが黄金律
エルデンリングはそれよりはるか昔に流星となって落ちてきたエルデの獣が起源だから全く別物だよ
もしも大いなる意思が世代交代を望んでいるなら、エルデンリングやエルデの獣も世代交代側ないしは中立、あるいは日和見的立場(この日和見ってのは意思を持っているのでは無く優勢な方につくという物質的な性質のことね)だと思われる
黄金律は人格をゆうしないけど、黄金律自体が永遠と生命という特性を帯びているようなので、世代交代よりも恒久的に状態を維持する性質があるのだと思う
黄金律とエルデンリングには意思や人格は無いけど性質上はこういう性質があるんじゃないのかって話しね
ちょっと日和見って表現しちゃったから、あたかも意思をもって能動的に動いているようになっちゃったね
ラニが
生命と魂が、律と共にあるとしても、それは遥かに遠くにあればよい
確かに見ることも、感じることも、信じることも、触れることも
…すべて、できない方がよい
というのは、逆説的に黄金律が生命に近すぎる介入しすぎる存在で、そのあり方は受け入れられないから夜の律を選びかつそれを遠くにやってしまおうという話なわけで
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